終わりがあるって素晴らしい

仕事がひと段落つきそうです。


長年、ソフトウェアの開発やってるわけですが、「この仕事のどういうとこが好きか?」って聞かれたら、
好きな要素の一つとして”プロジェクトという仕事の単位には終わりがあるから”と答えます。
やり遂げる目的があることがまず好きだし、終わりがあるからこそ、
終わったあとに何かしらの変化が約束されてる、と思えるからです。
(その代わり、悪い変化も起こりうるという不安定さは付き物ですが。)


話しは変わりますが、4月になったら『MOTHER3』というRPGが発売されるので今から楽しみなんですが、
これもいつかは終わってしまうゲームです。


ところが、明示的な終わりのないゲームとしてMMOがあります。
僕も一時期、βテストで無料だったあるゲームをおもしろがってやってたときもありますが、
やはり不毛だなぁと感じて、有料になるとともにやめてしまいました。
全てを否定するわけじゃないですが、終わりのないゲームには確実にダークな側面があることは、
このサイト『ネトゲストッパー』)を見るとよくわかります。


またまた話しは変わり、『終わなき日常を生きろ』宮台真司が言ってから、10年が経ちました。
当時は、あまりに早急にオウム事件を解き明かそうとする論旨に危なさを感じましたが、
10年経った今、結局は”つまらなさを感じるほどの日常”は長続きしなかったことが分かったわけで、
そんな心配は杞憂に終わりました。


ま、とにかく世の中無常が当たり前なわけで、有終の美ならぬ、有終そのものが美、
と僕はそう思うのです。