SF魂
- 作者: 小松左京
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/07/14
- メディア: 新書
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なんというか、世界や人間を捉える方法論としてのSFが好きなのです。*1
だから、好きなSFは?と言われたら、ベタだけど、
- 小松左京『果てしなき流れの果てに』
- アーサー・C・クラーク『地球幼年期の終わり』
なんてのを挙げてしまう…あー、ほんとベタだ。
と、まぁ、語り尽くされてはいるんですが、宇宙にとって人類の意味とは何か?とか、
何処から来て何処へ向かうのか?なーんて、若い頃は思索にふけったものです。
大人になっちゃうと、日常と周囲数メートルの人間に振り回されるばかりで、人間って何?なんて深く考えないけど、
文学は時として、犯罪や戦争や歴史など非日常を舞台にすることで、普段現れない人間の本性を描き出し、
読者に対して、人間への知見、さらには自分への知見を深めてくれます。
それと同じように氏のSFは、宇宙や地球や人類とか、もっと大きなモノに対峙することでしか見えない、
普段現れない人間性の一面があることを私達に気付かせてくれます。
そういった意味でSFは、テクノロジーや科学に焦点をあてているように見えて、
実は最もリアルに人間性を炙り出す作用を持つのではないかと思います。
ただ、『果てしなき流れの果てに』のホアンじゃないですが、
SFで得られる認識が、何か日常の状態を変えることができるか?って言われると、
そんな”やくたいもない…”って言うのがオチなわけですがね…。
けど、『地球になった男』に十分共感できるくらいに、やさぐれた中年の身としては、
これまた『果てしなき流れの果てに』の野々村のように、
ふと、そのやくたいもないものに賭けてみたくもなるわけですよw
と、いつにも増して支離滅裂なこと言いたくもなるのは…。
昔、大阪で、氏のご子息と仕事をご一緒させていただいたことがあったのですが、
なんだかそわそわし過ぎて、お父上のファンだと告白することもできませんでした。
かつての思い入れが強いが故に、なかなか冷静に直視できない、語れないものってありませんか?
小松左京の一連の作品群は自分にとってそういうものの一つです。
…単に、中二病が完治してないだけかもしれないですけど。
で、本書ですが、氏がチョイスした作中の抜き出しがミニライブラリーとして掲載してあるんですが、
これがもうココロの琴線に触れまくり。『復活の日』のヘルシンキ大学教授の独り語りとか、
『日本沈没』の渡老人が田所博士に語る日本人への思いとか*2、
久々に電車の中で読んでて鳥肌立ちました。
最後に、氏のお言葉。
いや、この歳になった今なら、やはりこう言っておこう。
SFとは文学の中の文学である。
そして、
SFとは希望である――と。
参りました。偉大なる中二病に、敬意。
そして、できるなら『虚無回廊』の続きを迷える子羊たちに与えたまえ…。